市指定文化財 天津流南部神楽を奉納
応永30年(西暦1423年、室町時代)8月15日村民の勧請と伝わっていますが、その他明らかでありません。現在の社殿は昭和6年(西暦1931年)7月に建造されたもので、棟梁は、郷右近忠右衛門。当時の社掌(神主)は大童雄幸です。明治5年1月村社に列しました。明治41年合祀指令により7社を合祀しました。
八幡神社 | 応神天皇 | 穀田字要害 |
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八幡神社 | 応神天皇 | 大童字上八幡 |
滝沢神社 | 瀬織津姫命 | 穀田字丸森 |
神明社 | 天照皇大神 | 穀田字丸森 | 八坂神社 | 須佐之男命 | 大童字下八幡 | 愛宕神社 | 可遇突智命 | 今泉字後沢 | 運難神社 | 保食神 | 今泉字富ヶ﨑 |
誉田別尊(ホンダワケノミコト)
4月第2日曜日、11月23日
宮城県富谷市今泉八幡下62【map】
今泉天津流南部神楽は、南方村(現在の登米市)の今泉上中田に住む行商人、若生利三郎氏が地域の若者たちに伝えたのが始まりとされています。この神楽は登米郡南方村出身の菅原良幸氏の指導を得て伝授されました。その後、大正3年9月に富谷今泉八幡神社の祭典で奉納され、家内安全、五穀豊穣、疫病退散を祈りました。
戦時中は舞手たちが出征し、後継者も育たず、また神楽殿の崩壊などもあって、しばらく中断していました。しかし、昭和53年4月、有志7人と地元青年たちにより復活させたと言われています。
この神楽は現在、春に執り行われる例祭にて奉納されます。